青図
数十年前に、日本の再興をかけてアジア初のオリンピック開催の地として東京が選ばれた。その後の東京の発展はすさまじかった(裏で泣いた人もたくさんいるから手放しでは喜べない)。新幹線、道路網、などが整備されていった。私が中学生から高校生になる時期だった。
青図があった。こうなりたい。こうしたいという国家の青図があった。エネルギーがあったように記憶している。
企業における情報共有も国家的な、いや企業全体のプロジェクトとして、心がわくわくする青図が無くてはならない。短くて3月、長くて3年もかかろうという大事業なのだから。
こころときめかすにはどうしたらよいのだろう。実現した先の世界が「自分にとって楽、楽しい」と水晶玉に出てこないと。
情報共有という言葉を使わずに、みんなで将来のオフィスワークを楽しいものに考えたら、その結果が情報共有。いいな。